青年部活動詳細
2009.12.11
建設夜話1 ~今こそ安全の創意工夫を先人に学ぶ~
昭和30年代から40年代にかけて、わが国は建設業界における安全の創成期であり、この時代、ゼネコン現場所長の安全おける最大の課題は、現場の建設職人に、保安帽・安全帯・安全靴を装着させることであった。今では考えにくいことであるが、この時期の建設職人は安全意識も低く、殊に安全帯を装着することに抵抗があり、ゼネコンの現場スタッフと建設職人はこの装着をめぐって喧嘩が絶えなかった。当時、職長クラスの建設職人は、自分の長年の経験をベースに判断し、他方ゼネコンの若い社員は大学で学んだ理論をもとに、それぞれがぶつかりあい討論に明け暮れていた。
ゼネコンの安全担当者は、現場で様々な創意工夫をしていたが、その一つが「安全坊や」であり、その生みの親こそが鹿島建設の故・矢島実氏であった。「安全坊や」とは、今ではどこの現場でも掲げられている「ご迷惑をおかけしています」とお詫びしている坊やの立て看板のことである。
同氏は建設業界の安全において、稀に見るアイディアマンとして知られていたが、この「安全坊や」が生まれた背景には、現場の近隣対策があった。今でもそうだが、現場には近隣住民から必ずといっていいほど苦情が来る。「朝から工事をするな」「音がうるさい」等々、とにかく苦情が山ほど来る。そんな折にふれ、同氏は安全坊やの立て看板を掲げることにより、苦情の緩和につながるのではないかと考えた。同氏は後に、「特許をとっていればよかった」と笑いながら話していた。
また、同氏は隠れたグルメでもあり、東京・目黒にある「とんかつ屋」に足しげく通っていたが、ある日、若い店員がキャベツを小気味よく切っているのを見て、「よく手を切らないね」と声をかけると、その店員は「包丁の下に手をいれなければ大丈夫ですから」と返した。この話からヒントを得た同氏は、安全協議会の席上、「とんかつ」の話から始まり、最後に「危険物の下に立ち入らなければ事故に繋がらない」という話に収斂させ、その場に居合わせた職人は皆、耳を傾けたという。
さらに、ある日、同氏が雨の降る日に歩いていると、前を歩く人が水溜りにタバコの吸殻を投げ捨てた。それを見た同氏は早速「現場に水溜りをつくるな。つくればタバコが投げ捨てられる」と理路整然と説明した。日常生活と現場の安全・環境をうまく結びつけるという同氏の面目躍如がこの逸話からもうかがえる。同氏は、「安全講話は難しいことをいっても誰も聞いてくれない。まず誰もが興味のある話から入るべき。それには日常の身近な話が最適。」だと私に話してくれた。このことは今では私が実践させていただいている。豪傑のようで、実はとても繊細な方であった。
(ACCESS 赤峰)

